風景と地域づくりの
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景観研究室は、プロジェクトや研究を通じて、九州各地の風景・地域づくりに取り組んでいます。地域の人達と未来を語り合う、デザインについて現場で喧々諤々議論する、素敵な風景や食文化を見つける、地域の人達との長いお付き合いが始まる…風景・地域づくりの中で、たくさんの出会いや発見、感動が生まれる毎日。そんな景観研究室の日常をお伝えしていきます。
October 21, 2013
水神祠研究について【水神祠研究/平野】

私の卒業研究テーマは『筑後川の水神祠群に着目した人々の暮らしと川との歴史的関係性の読み解き』でした。この研究より、筑後川に存在する水神祠が91箇所存在することを明らかにしました。写真のように水神祠は筑後川の川沿いに多く立地しています。

しかし、水神祠の明確な建立理由までは明らかに出来ませんでした。そこで、修士論文ではこの研究の続きとして、水神祠の建立理由を明らかとする研究を行います。
1.背景、目的
水神祠とは、水神が祀られている小さな祠のことで、人々の水に対する恩恵と恐怖が神格化し、諸神仏に仮託して信仰という形をとって、現在まで引き継がれてきたものと考えられます。今日も水神祠に関する川祭りが周辺集落の住民により行われています。また、水難除けを祈願し水神を新たに祭る風習は残っています。熊本県人吉市の人吉水天宮は昭和28年8月3日に青年団諸氏の発起により、度々の水害常襲地であった町に守護神として久留米水天宮より分霊を奉斎して祀っています。
筑後川に水神祠が多く祀られている背景には、過去に人々が筑後川と密に関わった営みを行っていたことが関係すると考えられます。筑後川は「日本の3大暴れ川」に名を連ねるほど大水の被害が多い河川でした。また、筑後川から取水するため4大堰と呼ばれる大石堰、山田堰、床島堰、袋野堰が作られました。その他に、川を交通手段とした舟渡し、筏下りが日常的に利用されていました。
その後、生活の変化により川での営みは失われていき、また、治水、利水を主目的とした河川改修川により、過去の川の遺構は失われていきました。しかし、最近の河川整備は、川を本来の姿に戻そうという方向性で取り組みが行われています。
しかし、川本来の姿を取り戻すための手がかりとなる、川で行われた営みを伝える遺構、資料、災害記録等はほとんど残っていない状況です。そのような状況で、水神祠は現在も多く残っています。水神祠は川の営みが行われた場所、災害が発生した箇所に祀られてきたと考えられます。よって、その謂れを明確にすることで水神祠は川で行われた営み、災害箇所を伝える記憶装置の役割が期待できます。そこで本研究より水神祠の建立理由を明らかにします。
2.研究方法
本研究では水神祠の建立理由を明らかにするため、以下の手順でヒアリング調査を実施します。
① 水神祠の建立された理由の分析、ヒアリングシート作成
水神祠の分布図に「古地図」「過去の水害の歴史」「農業利水の歴史」「地域の伝承」を重ね合わせ、水神祠の建立理由を推測する。そこで、ヒアリング調査で確認する項目を整理し、ヒアリングシートを作成します。
②ヒアリング調査
水神祠周辺の地域にいらっしゃる古老を対象にヒアリング調査を行います。ほとんどの水神祠は「私が生まれたときからありました」という話を聞きます。水神祠の刻印を見ると、最も古いもので1799年に建立されています。また、昭和になって建立されているもののほとんどは、水害で流失したものを再建したもので、水神祠自体はそれ以前から存在していることが確認できました。そこで、地域で生まれ育ち、昔の水神祠の記憶をお持ちの古老に話を聞くことで、これ以上は遡れない程度まで水神祠の情報を集めることとしました。
先日からヒアリング調査を実施しています。現在は私に加え、樋口先生も参加して調査を行っています。調査からは、今の筑後川の姿、生活の仕方からは想像できないような話をたくさん聞く事ができています。今後の進捗状況についてはブログで報告していきたいと思います。

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