WORKS

災害復旧と地域景観の再生・創出は、決してトレードオフの関係ではなく、両立可能です。この仕事はその証拠です。
 島根県津和野町を流れる名賀川(なよしがわ)流域は、平成25年に発生した豪雨災害で甚大な被害を被りました。被災地域の一つ、白井(しろい)地区は川沿いを黒煙を吐きながら進む「SLやまぐち号」の勇姿を撮影できる好スポットとして広く知られていました。「SL応援団(団長:村田隆義氏)」では、地域の人々と鉄道ファンとの交流を通じて過疎化の進む白井地域の活性化に取り組んできましたが、線路も河川護岸ごと寸断されてしまいました。
 災害復旧にあたった島根県では、白井地区についてはできるだけ発災前の風景を再生するとの方針を立て、これを支援するため島谷研と景観研で九州大学支援チームを組織しました。
 県土木事務所と九大チームは、早急な復旧が求められるタイトな事業スケジュールの中で、スケール模型等を用いて地域の方々と具体的な復旧のあり方を協議・調整し、その上で治水と環境が統合した適正な河道形状の導出、被災した頭首工の形状決定等をおこないました。護岸については白井地区で広く見られる野面石積とすることを基本に据えました。
 九大チームではさらに各構造物の構造的・景観的ディテールについてのデザインをおこない、実施設計を担当した(株)大隆設計がそれらの水理的・構造的検討をおこないました。
 建設段階では、地元の施工事業者の努力に加え、石積工事には高い技術力を有する藤本石工、河本石材が九州から参加し、見事な護岸等が築造されました。
 事業継続中の平成26年8月にSLやまぐち号の運行が再開すると、河道レイアウトの適正化で創出された左岸広場を活用して様々なイベントがSL応援団の手で実施されるようになり、今日、周辺は多くのSL鉄道ファンで賑わっています。
 災害復旧で姿をかえた名賀川ですが、多くの関係者の努力の成果が時の力を借りながら当たり前の白井の風景として受け入れられ成熟していくことを願っています。




復旧事業がほぼ完了しSLやまぐち号が久しぶりに白井地区を通過した際の写真。石積が新しく目立っているが、今後時間の経過の中で石材のエージングと植生の回復等により周辺と馴染んでいくことを期待している。

右岸側のJR山口線路床部が流失し線路が垂れ下がっている。


山口線は土石流により完全に寸断され、名賀川の切石積護岸も大部が流失してしまった。

白井の里防災広場から見た今日の名賀川。奥に山口線の白井隧道が見える。河床には大小の石が転がり洲も形成されており、豊かな環境が再生されつつある。


上流から見た改築後の頭首工付近。河道に川なりの礫の堆積が認められ植生の回復も進んでいる。
奥のケヤキは災害を生き残ったもので、樹木医の指導を参考に敢えて残した。
土木学会デザイン賞 講評
土木学会デザイン賞 2019 より引用 (http://design-prize.sakura.ne.jp/archives/result/1190
白井地区は津和野町の中心地からやや離れた山間に位置し、川沿いを疾走する“SLやまぐち号”の応援を通じて地域活性化に取り組んでいた。しかし、平成25年7月の豪雨災害によって川と線路は寸断、災害復旧事業に着手することになった。災害復旧事業は、被災後の混乱の中、時間的制約の中で行わなければならない。さらに、山間地を流下する急勾配河川は洪水時の流れが激しく、魅力ある川を再生するためには幾つもの技術的課題を克服する必要がある。本作品では、このような課題を乗り越え、治水と環境が調和した川づくりを実現した。令和元年8月末の日曜日の朝現地を訪れた。川幅は全体的に広く設定され、川の地形回復に十分な空間が確保されている。形成された礫河原や水際に繁茂した植物はその証左だろう。精緻に積まれた野面石護岸には色相のばらつきもあり見事。石材が途中で変化しているのは制約のある中で石を積んだ苦労の跡である。護岸の目地空隙には奥行感があり、生き物の気配を感じ取ることができる。曲線的な護岸線形、水辺にアプローチする階段、樋管吐口の処理、水路に掛かる桁橋等細かい部分への配慮も修逸である。驚くべきは、下流側に配置された三段の石で組んだ落差工である。斜路部分は流水が横方向に分散しないよう澪筋部を設け、その下流は水深を確保して淵の機能を持たせている。魚の遡上も容易だろう。水理検討そして樹木医のアドバイスを受けて残したケヤキの大木には生命を大切にした設計者の意図を感じる。昼になり“SLやまぐち号”が白煙を上げながら疾走して行く。発災から6年、背景の山々や名賀川と調和した綻びのない風景に深く感動する。復旧・復興においても、求められるのは“地域を豊かにするデザイン”。この作品からは、そんなメッセージが聞こえて来る。
(国研)土木研究所 水環境研究グループ長 萱場 祐一)
 山々に囲まれた名賀川をやや高い位置から見下ろすと、地域の暮らしに馴染んだ素朴な川という印象を抱く。ところがここは、2013年の豪雨によって甚大な被害を被り、迅速に復旧が進められた流域の一部だという。上下流の区間は標準的なルールに素直に従って整備したのであろう画一的な河川空間になっており、良くも悪くも強いコントラストが生じている。
 川沿いをゆっくり歩くと、さまざまな要素に微細な変化が織り込まれていることに気付く。幅や高さの揺らぎが生み出す水流の表情、大小の曲線が複雑に混在するライン、当該地域に見られる手法を引用した石積みなどからは、この場所における川のありようをしっかり見据えて整備が進められたことが読み取れる。特に、手の込んだ頭首工の造形と災害を乗り越えて残されたケヤキの存在は、印象的な風景を創り出している。また、水路をまたぐ小さな橋梁や川面に近づく階段工のおさまりなどへの気配りからは、構造物の存在感をできるだけ消して、長い時間をかけて地域の風景に馴染ませようとする意図が垣間見える。
 この対象は、災害への緊急対策と地域景観の創出が、トレードオフの関係ではなく高度に両立可能であることを示している。つまり、災害が頻発する国土において今後も生じるであろう緊急的な整備のメルクマールとしての役割が期待できる。今回はその点が大きな評価ポイントとなった。今後は石積みの風合いが増していくとともに、SLやまぐち号へのフォトスポットとして来訪者を迎え入れる防災広場の設えなどにも好影響が生まれることを期待したい。
(千葉工業大学創造工学部デザイン科学科 教授 八馬 智)