WORKS

戦後、治水を最優先して河川改修され往時の懐かしい水辺の風景を失ってしまった川は日本中にありますが、遠賀川もその一つです。自分たちが子供の頃に遊んだ川を取り戻したいと願う地域の方々が集まって立ち上げられた「遠賀川づくり交流会」の皆さん、直方市役所、そして国土交通省遠賀川河川事務所の皆さんと一緒になって、子供たちが安全に遊べる川、地域の人々が親しんでくれる川のデザインに取り組みました。
 流れが穏やかな左岸(下流に向かって左側の岸)は、コンクリートの護岸や駐車場を撤去し、川面まで歩いて近づける緩やかな草のスロープにつくり直しました。相対的に流れが急な右岸側は、二から三段の小段とスロープによる構成とし、各段の境目には石積みの護岸を配置しました。石積みの目地に工夫をすることで、春から秋にかけてはそこから草花が育つようにしました。
 完成から10年以上が経ち、ずっと以前からそうだったような風景に成熟した川辺は、週末はもちろん平日でも多くの人に利用されています。




緩やかな傾斜の草原に生まれ変わった左岸側。

以前の遠賀川。舗装された平らな高水敷(河川敷)とコンクリートブロックで覆われた低水路しかない殺伐とした風景が広がっていました。


危険なコンクリートブロック積みの護岸を降りていこうとする子供達。一刻も早く、安全な川で遊べるようにしてあげる必要がありました。

模型を囲んで遠賀川の将来の姿を議論する地域の皆さん。


粘土模型を使ったデザインスタディ。

生まれかわった遠賀川。


安全に遊べる水辺。

石積みの護岸と草のテラスで構成された右岸。


右岸に組み込むことができたカヌー乗り場。木製のスロープはハーバード大学のボートハウスがモデルになっている。
土木学会デザイン賞 講評
土木学会デザイン賞 2009 より引用 (http://www.jsce.or.jp/committee/lsd/prize/2009/works/2009g2.html
近代には、石炭の生産によって黒い水の流れる川であったという遠賀川で、直方の水辺づくりでは、「ひろびろとして、気持ちのいい」空間を作りだした。そこには、水辺で暮らし、散歩し、「気持ちよく」「大きなひろがり」を眺める喜びが演出されている。緩い傾斜と川のもつ曲線が大きな広がりをもつ空間をつくり、その空間に身を置く者に河川空間がもつ「のびやかさ」を体感させてくれる。
 実際にこの空間を歩いてみると、広々とした川辺を歩く楽しみが実感される。護岸の緩やかな傾斜によってつくられる広い視野に、遊ぶ鳥、沈下橋で釣りをする若者たちが点景となる。
 水際に残された砂地には、黒い筋が浮かんでいる。遠賀川河口部には、中世に生産された芦屋釜の足跡も残る。遠賀川から供給される砂鉄を使う人々が大陸からやってきて製鉄の技術を発展させたそうである。
 そうした履歴を秘めた空間を歩き、土木のデザインは、目で見るデザインというよりも、居住・活動する人間の身体的時空間デザインともいうべきであるという思いが浮かんだ。デザインされた時空間に身を置いた者は、その感性をどのように刺激され、その触発によって何を感じ、何を考え、また何を経験として蓄積するのだろうか。そうであるならば、デザイナーは、多様な人々( 関心・懸念とその背景にある意見の理由の来歴を異にする人々)の感性的多様性にどれほど配慮できるかということを課題とするであろう。
 直方の水辺の、いわば「虚な」空間は、そのことによって感性の刺激を受けるのに十分な「のびやかさ」を感じさせてくれた。
(東京工業大学大学院社会理工学研究科 教授 桑子 敏雄)
 遠賀川に架かる橋から下流を見た時、眼前にひろがる河道と左岸側の高水敷の風景は、筑豊の河川に対する先入観をみごとなまでにくつがえしてくれた。水深の浅い河道の水面はキラキラと太陽光を反射させながらゆっくりと流下し、広々とした高水敷の草地はなだらかな勾配で汀へと続いている。汀にそって護岸の立ち上がりがなく、上流から運ばれた砂が堆積した上に繁茂した草本の群落が、水辺に柔らかなエッジをつくりだしていて、高い親水性が感じられる。広々とした高水敷の横断方向では、ほんのわずかに勾配が感じられる程度で、歩いていても心地よい変化があるだろう。一方、右岸側では同様に緩やかな横断勾配の高水敷がひろがるが、こちら側の汀はハードなエッジがたちあがっていて、両岸で明快なコントラストが認められる。
 階段状に設えられた護岸の一部には緩勾配のスロープがあり、ここからカヌーが水面にアクセスできるようになっていて、アクティブな親水レクリエーションへの配慮もゆきとどいている。上流部と下流部、2 カ所に設けられた沈下橋も、景観的なアクセントとなるだけではなく、河道を隔てた両岸の回遊性を高めるうえで極めて効果的であった。欲を言えば、右岸下流側の未着手となっている部分の整備をまって完成度を高めたうえでの評価をしたいところである。いずれにしても、このような川辺の街に生まれ育った人々、特に子供たちにとっては、生涯忘れることのないふるさとの風景となるにちがいない。
(奈良女子大学住環境学科教授/設計組織PLACEMEDIA 宮城 俊作)
 
 
遠賀川河川事務所(当時) 田上 敏博
夢プランの実現に向けて
樋口研究室とは、夢プランなくしては語れない。地域住民と行政が連携し、遠賀川を通じた地域づくりの夢を語り合い、その夢を絵にしたのが夢プランである。夢プランづくりは、そもそも川を整備する絵を描くことではなく、過程において、川を通じて住民と行政が語り合い、本音で情報を共有し、結果として地域の大人から子供までの人づくりの仕組みにつながることが主な目的であった。交流会座長の野見山座長の熱い思いと、まわりの人達の厚い信頼関係が10年以上の継続につながり、広がりをみせ、まさに素晴らしい地域づくりの取り組みである。
 そんな時、水害対策として河川敷を工事しなければいけない状況になり、限りなく夢に近い計画であったはずの夢プランが、一部ではあるが突然実現する可能性が生まれた。その時に、地域住民のサポート集団として力を発揮して頂いたのが樋口研究室景観グループである。ワークショップにおいて地域住民と行政の介添え役として意見を集約し、それを実現するために粘土を使ったわかりやすい模型によるプレゼンは、住民から大好評で高い信頼を得ていた。また、朝一番に樋口研究室を訪れた時、女子学生が徹夜して作り上げた模型の前のソファで寝ていた姿は感激の極みでした。その粘土の模型でデザインされた夢の緩傾斜の川づくりが実現した。樋口研究室の皆さん本当にありがとうこざいました。
遠賀川河川事務所(当時) 堤 宏徳
100年後も残っていますように…
「100年後に残るものを作ろう」。プロジェクトスタッフを支えたのは樋口先生のこの言葉であった。工期の余裕もなく予算の問題もあり、本当に住民の方々が満足するものが出来るかどうか不安を抱きながらも、その道のプロたちがプライドをかけて取り組んだ。
 土木は同じものを効率的に作るのは得意であるが、建築デザインのように違うものを作るのは苦手である。しかし、樋口先生の要求はまさにデザイナーズマンションであって、発注者や施工者は初めての経験であり、施工途中には多くの苦労があった。「石材の目地を合わせたい。」「使う材料はこれがよい。」などハードルは高かったが、現地立ち会いによる熱い議論とプロ達のプライドにより何とか工事は終了した。プロジェクトスタッフは自信に満ちた笑顔で現場を去っていった。
 遠賀川では地域住民の方々が描いた「夢プラン」を土木とデザインの専門家が力を合わせて現地に実現出来た。今日も、川は笑顔であふれている。評判は気になるところだが、100年後に残してもらっているかどうかは後世の人の評価にお任せしよう。100年後も笑顔で満たされていますように。。。
景観研究室修士課程(当時) 吉岡 聖貴
川づくりから、まちづくりを目指して
明治以降、直方市は近隣の筑豊炭鉱から採掘される石炭の集積地として発展を遂げたが、川の水で石炭とボタを選別する“洗炭”により遠賀川は「ぜんざい川」と呼ばれる黒く濁った川となった。今となっては川の色も戻り、「チューリップフェア」や 「のおがた夏祭り」等のイベントで河川敷は賑わいを見せている。
 ここでの川づくりは市民団体・直方川づくり交流会によって遠賀川夢プラン2000が提案されたことに始まり、本事業の実施に際し、「改修デザインの検討で終わらせるのではなく、遠賀川を活用してまちづくりに貢献できるような仕組みづくりを市民と一緒になって考えていきたい」という、当時河川事務所の副所長であった田上氏の発意により、国土交通省遠賀川河川事務所・周辺住民・アドバイザーで構成される市民部会が設置されることとなった。
 まず最初の2年間の大きな検討テーマは、「まちと川の関係について考える」こと。そして、「改修デザインについて考える」こと。部会メンバーでの議論や粘土模型いじりでの具体的な整備イメージの提案を受けて、河川改修の基本構想ができた。当研究室は、部会での検討のネタとなる資料や模型を準備するとともに、市民から得られた意見をもとに、河川事務所及びコンサルタントと協同してデザイン案を作成する役割を担った。
 河川改修事業が予算化されると、河川事務所・コンサルタント・当研究室の間で該当区間の詳細デザインを検討し、実施案を練った。実施案は、市民部会での了承を得た後に最終決定され、逐次工事を実施している。現在までで、平成17年度と平成19年度の2回の工事を終えて、右岸側・約300m、左岸側・約1000m区間の整備が完了。こうして少しずつ、そして着実に整備が進んでいる。
 設計のポイントは、「川を身近に感じられ、広い範囲で自由に利用できる河川敷」への改修を求める市民部会からの声を反映し、左岸側では今までの複断面構造の低水部コンクリートブロック護岸を撤去して、高水敷を緩傾斜スロープ化し、水面までなだらかにつながる断面を採用したこと。右岸側は、河川構造上流水による掘削の恐れがあったため、こちらは見通しが確保でき、かつ安全なひな壇型の低水護岸を採用し、水際は階段護岸やカヌー乗場など親水性の高い空間とした。(H21修士課程修了)
景観研究室修士課程(当時) 竹林 知樹
「住民の思いが施工現場にもたらしたもの」
数ある思い出深い出来事の中でも、特に印象深いシーンとして施工関係者との打ち合わせがあります。それは、まさに施工のプロである現場監督や職人達が、地域住民の長年にわたる努力と思いの詰まった川づくりだからということを聞くやいなや真剣な表情に変わり、まだ経験もほとんどない学生であった私の素材の選定や構造物の納まりに関するつたない説明を、何時間も熱心に聞き入り、疑問点はしつこく質問し、また逆に優れた施工のアイデイアを考案さえするという光景でした。その後の施工現場でも、石工職人の方々をはじめ職人の皆さんは図面に描かれた情報以上の注意と熱意をもって仕事に励み、また設計者として納得のいかない仕上がりに対しては愚痴の一つもこぼさずやり直す場面が何度もありました。また、これら通常の土木事業では不可能な「設計者による施工管理」の調整に奔走し、前例のない取り組みを次々と実現してくださった河川事務所の方々の仕事ぶりも忘れられません。いずれも、関係者が各々の立場や名誉を守る為ではなく、地域住民、地域社会の思いに応えたいと思ったからこそ突き動かされたのだとわかった時、本物の住民参加が風景づくりにもたらす大きな可能性を感じられたように思います。
 直方の河川敷が第一期、二期とその姿を変えているように、風景は常に変化し続けるものです。この川づくりが触媒となり、次は地域の建築や都市計画、そして教育や文化的活動といったソフト面に活動が展開されることで、いつの日かさらに豊かなまちと川の風景に出会えることを期待しています。