風景と地域づくりの
出会いと発見DIARY
景観研究室は、プロジェクトや研究を通じて、九州各地の風景・地域づくりに取り組んでいます。地域の人達と未来を語り合う、デザインについて現場で喧々諤々議論する、素敵な風景や食文化を見つける、地域の人達との長いお付き合いが始まる…風景・地域づくりの中で、たくさんの出会いや発見、感動が生まれる毎日。そんな景観研究室の日常をお伝えしていきます。
November 30, 2014

庵浦町トレイルルートづくり/現地まち歩き【庵浦/榎本】

11月15日は佐世保市庵浦町にて住民の方と一緒に今年度作るトレイルルートを歩きました。

スタート地点は集合場所であった庵浦公民館です。公民館の海側はプレジャーボートの停泊地になっており、この日は週末で天気も良いことから釣りをしている人も多かったです。
公民館から県道に出て、さっそくトレイルルートの最初の目的地である綿津美神社に向かいました。綿津美神社は公民館のある浦の北側にあり、その名の通り海の神様が祭られています。平成になってから昔の町民の方の寄附により、立派な社が再建され、町内で管理されています。

スレート屋根は現代の名工にも選ばれた佐世保市内の職人さんの手により作られたものでとても立派です。綺麗に管理されています。

公民館から綿津美神社に行く途中、100年ほど以前の大正時代に作られた古い石積みの波止を見ることができます。石積みの上にコンクリートでかさ上げされ、プレジャーボートが停泊している公民館の海側の埋めたて地に続いています。

内湾ということもあり、驚くほど水が綺麗です!

続いて集落の中の急な斜面を登り、金比良神社へと向かいます。

目的地は集落背後にそびえる山のてっぺんです。海抜10mから一気に160mくらいまで登ります。
傾斜は場所によっては20度近くあるでしょうか。軽い山のぼりです。ところどころ平坦な道で休憩をとりながら登って行きました。住民の方の話では、昔はお風呂の水を低地にある井戸まで汲みに行くために、この坂道を毎日何度も往復したそうです。

途中、昔使用していた水組み場が残っていました。

その後、コンクリートで簡易舗装された山道を行き、さらに階段を登り、金比良神社まで到着。
天気も良好だったため、万が一と思って厚着をしてきたセーターを脱ぎ、なんとか頂上まで全員到着しました。住民の方の中には80歳を超えている方も参加しており、その健脚に頭が下がります。町内で管理されている神社は三社あるそうですが、この金比良神社もその1つ。若い住人がどんどん減っている庵浦町では、こうした普段人の行きにくい施設の管理も重要な課題になっているということです。確かにこの道を毎日登ると考えるとたとえ健康でもけっこうしんどい道です……

さて、苦労して登って来た金比良神社の御神体を前に手を合わせ、その奥へ向かうと、登坂の甲斐あり、素敵な風景が待っていました。鬱蒼と繁る樹木の間から佐世保湾を一望することが出来ます。

以前は、全方位視界が開けていたということですが、現在のように囲繞感のある展望も丸出山観測所から見る九十九島の風景とはまた違う素晴らしさがあります。
金比良神社の敷地内には佐世保八十八カ所の一つも祀られていましたが、なかなか登って来にくいところにあり、現在ではイノシシの被害により無残な姿になっています。ここでも管理の問題は重要です。
金比良神社を後にし、続いて椎木集落に向かいます。途中、以前、通学路として使用されていた道路を左手に県道へと細い道を下って行きます。この古い道は、草が茂っており、残念ながらこの日通行することはできませんでした。
椎木集落の入口は視界が開けており、佐世保湾を望む絶好の場所ですが、残念ながら、ちょうど佐世保湾を望む場所にバスを待つためと思われる小屋が設置されています。小屋を避けつつ眺望写真を撮影。

以前は俵ヶ浦半島全域に段々畑が広がっており、広々とした眺望がいろんなところで見ることができたということですが、今日、樹木が生い茂った半島内で、この椎木集落の入口のように佐世保湾をのぞめる場所は稀です。電信柱の位置など、少しの配慮で見える景色がまったく違ってきますので、工夫して設置することを考えたいものです。

椎木集落へと下って行きます。
ここでの一番の目的は椎木集落に残る以前使用されていた桟橋です。
途中、佐世保八十八カ所のうちの一つを通りすぎます。この社が椎木の桟橋からお遍路にやって来た人たちが最初に参る社ということです。

そのちょうど目の前に桟橋へと下る細い階段路がありました。この階段を下って桟橋に向かいます。

海に近づいていくと、波打ち際のさざ波の音が聞こえてきて、海が近いことを教えてくれます。
段竹がアーチのようになっている部分をくぐりぬけると、そこは貝殻などが砕けてできた砂浜(礫浜)が堆積しており、プライベートビーチのような様相です。現在は使用されていない、板が落ちてしまった桟橋の取ったんで釣りをしている人たちがいましたが、風の強い日でもほとんど波立つことがない佐世保湾を目の前に気持ちの良い空間が広がっていました。

伊能忠敬が上陸の際に使用したと言われる石積みの桟橋の遺構も残っており、庵浦町と俵ヶ浦半島の歴史を感じさせます。

人口減少地域では空き家問題も重大です。庵浦町でも空き家とそれによる獣害が問題になっています。椎木の桟橋に降りてくる途中にある空き家は、駐車場から少し歩かなければならないという不便はありますが、とても状態も環境も良い一軒家でした。こうした空き家の情報を提供し、住みたい人と地域とをつなぐ機会も重要です。地域の人と来訪者の距離を近づけることが、トレイルルートづくりのねらいの一つでもあります。
時間も迫って来たため椎木集落を後にし、諫屋敷の跡があるという場所に案内してもらいました。佐世保諫という、佐世保という地名の由来にもなった佐世保の氏を持つ人が、庵浦町に山城を構えていたということから諫屋敷と呼ばれているそう。
残念ながら現在は山道になっており、人の手が入っていたと思われる痕跡があるのみです。山の中に入るための動線もわかりにくいため、トレイルルートに入れる際には、その歴史的な検証とともに、謂われなどをきちんと示す必要があると思われます。こうした、地域に伝わる伝承を残していくこともトレイルルートを作っていく過程できちんと押さえていきたいポイントです。

写真の右手の奥に諫屋敷があったと言われている場所です。

諫屋敷のほかにも庵浦町には山城が多数あったことが伝えられています。
この後、県道を通って庵浦町まで戻り、この日はこれでまち歩きを終了しました。
次回は小学校周辺を含め庵浦町の西側のルートを住民の方と歩く予定です。

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