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唐津といえば江戸期以来の歴史を持つ唐津くんちのお祭りで有名ですが、明治以降に周辺で採掘される良質の石炭を積み出す輸出港として大きく発展したまちでもあります。
 その中心となった唐津東港では、平成16年から「唐津みなとまちづくり懇話会」を中心に老朽化した臨港地域を臨海公園として再生させる取り組みが続いています。その中心となるのは、かつての岸壁に沿って整備された広々とした芝生広場とそれを取り囲む松原です。
 九州大学景観研は、懇話会の一員として芝生広場・松原のデザイン段階から参加させていただいています。城下町唐津とは異なり煉瓦や鋳鉄が多用されていた明治期の東港をモチーフとしながら、これまでにボラードや遊歩道などのデザインをさせていただきました。
 また、懇話会を支援するために組織された「デザイン専門家会議」のメンバーとして、新フェリーターミナル、県営新競り場、水産会館、国の新合同庁舎等の建築物のデザインについても、唐津固有の色としてのベンガラ色の採用などの提案を行い、東港全域の景観的な統一感の醸成に努めてきています。
 まだまだ道半ばですが、そう遠くない将来に唐津らしい海辺の賑わい空間が完成する日を夢見て、地域の皆さん達と頑張っています。
水辺に設置された鎖の転落防止柵とベンチ。太い鎖は引退した巡視船の錨鎖を再利用しています。オリジナルデザインのボラードは、黒木産の杉丸太を柱に使い、上下に鉄鋳物をはめています。ベンチは懇話会メンバー等からの寄付金を原資に九大の学生が毎年数基ずつ手作りし設置しています。材料の杉は、佐賀県産材を使っています。

樋口が描いたボラードのスケッチ。


オリジナルデザインの救命浮環。

以前の唐津東港。老朽化した港湾施設が広がる殺風景な空間でした。


九大が作成した模型を囲んで、将来の松原の姿について議論する懇話会のメンバー達。

市民ボランティアによる松苗植樹活動。


レトロな姿にベンガラ色を纏って完成した県営新競り場。壁面には唐津名物のアラを描きました。

市民ボランティアの手で上棟中のトロッコ倉庫。少ない予算の中で、できることは自分たちでするのが懇話会流。材木は100%唐津の山で育った杉材です。


「線路の小径」オープニングイベントでの記念撮影。後ろ左側は壱岐と唐津を結ぶ新フェリーターミナル。右の二本煙突は旧九電唐津火力発電所。
海から変える市民参加のまちづくり
(九大景観研究室10周年記念誌から)
 赴任先となる唐津へ向かう途中、JR筑肥線の車窓から見える唐津湾の美しい景観に惚れこんだ一人の男性がいた。当時の唐津港湾事務所長の鈴木徹氏である。
 佐賀県の港湾計画の改訂をきっかけとして唐津港の将来像が見直されていた在任当時、鈴木氏は美しい景観を有する唐津の海辺空間の活用をまちづくりと捉え、地元が主体となってあるべき姿や将来像を議論できないかと地元に働きかける。そして平成16年6月、地元代表や国、県、市、大学による「唐津みなとまちづくり懇話会」が設置され、樋口が委員として参加したことをきっかけに、当研究室が唐津のみなとまちづくりに関わることとなった。
 地元主体により唐津港の将来像が議論される中で、テーマ・エリア毎に検討を行う6つのゾーン部会、そして唐津市役所の担当部署「みなとまちづくり室」が設置され、現在のみなとまちづくりを支える組織体制が確立された。平成17年8月、地元が考えるみなとまちづくりの基本方針を示した「地域素案」がまとめられ、県の港湾計画改訂にも一部反映された。その後、各部会及び地域素案の具体化を支援するために設置された「デザイン専門家会議」で議論を重ね、唐津東港緑地の計画・整備や松原再生に向けた市民による3,000本の松苗植樹活動、「住民参加型まちづくりファンド」を活用した人道橋•海の公民館の整備など、地域素案を形にするためのプロジェクトが今もなお進められている。
 唐津のみなとまちづくりは、唐津の海に惚れこみ、地元のために「おせっかい」にも汗をかくキーパーソン達の存在抜きにして語れない。そのおせっかい人の代表格の小島起代世氏(からつ夢バンク)が仕掛け人となり、「唐津を日本一豊かな海辺都市に」をテーマに、平成20年度からヨットを中心とした海辺の資源を活用した観光振興プロジェクトが始動した。ヨットの世界選手権大会が開催される平成21年は、世界に唐津をPRするチャンスであり、人道橋整備や観光ツール・アクセスの社会実験など、複数のプロジェクトが地元主体により展開される予定だ。
 各プロジェクトのシナジー効果を生み出し、唐津湾を「一続きの魅力」として繋げることが次なるステージ。尽きることのないキーパーソン達の地元愛と行動力があれば、「世界の海辺都市唐津」となる夢物語も叶うような気がしている。外からの「おせっかい人」として、私もその夢に加担し続けたい…
(佐藤直之 H16年修士課程修了)
唐津港湾事務所長(当時) 鈴木 徹
港を知りフル活用する先進地域ヘ
 港は、県や国にとって重要な社会資本であるだけでなく、その港の位置する地元地域にとっても港の様々な機能を最も身近に利活用できる貴重な資産であり空間だと思います。
 唐津港の将来のあり方が見直されていた唐津在任当時、物流や産業、防災の拠点といった機能のほか、抜群の景観を有する唐津の海辺空間の活用をまちづくりとして捉え、その主役である地元地域が主体となってまちの将来像を考えその実現に向けて取り組むための一つの契機として「唐津みなとまちづくり懇話会」が創られ、そこでまとめられたみなとまちの将来像(地域素案)は県のつくる新たな港湾計画へも反映されました。
 以後、同懇話会をはじめまちづくりへの思いを共有できる多様な関係者が連携する仕組みが活かされつつ、将来像の実現に向けた具体的な取組みが地元地域の皆様が中心となって今も精力的に継続されていること、その成果が一つ一つ目に見えるものとなってきていることを大変嬉しく思っております。また、そのきっかけづくりに関わることができたこと、地元の多くの方々と知り合えたことは、自分自身にとっても貴重な経験であり財産です。
 唐津で今も継続されているみなとまちづくりが一つ一つ成果を産み、地域の財産として将来に残り、また全国のみなとまちづくりのモデルとして他の地域との多くの交流も育んでいかれることを切に望みます。
からつ夢バンク 小島 起代世
海に目を向けたまちづくり活動
 「からつ夢バンク」というまちづくりグループの代表になって20年になりますが、平成17年に唐津で開催されたデザインシャレットの見学をきっかけに「唐津みなとまちづくり懇話会」のメンバーとして参画することになりました。
 この懇話会は、国・県・市・地元市民に加えて九州大学の樋口先生をはじめとする学識経験者・専門家の集まりです。唐津港緑地計画の中で、平成19年3月には「市民による松原」を創っていこうと提案した結果「唐津みなと松原の会」が発足し、実行委員長の私を支えるべく、樋口先生にアドバイザーとして入っていただき、常に学生を引き連れて活動していただいています。また、平成20年には、国の「地方の元気再生事業」を「懇話会の若者(?)で企画しないか」と樋口先生からのお誘いがあり応募したところ、国の選定を受けることができました。そして、多くの人達に七色の風が吹く唐津の海やお城の見えるハーバーからの素晴らしい景色を満喫してもらう「唐の津ハーバーフェスタ」へと発展してきました。
 平成21年の夏には、 唐津のヨットハーバーでレーザーラジアルヨット世界選手権大会も開催されました。これからもどうぞよろしくお願いします。
唐津市みなとまちづくり室 大森 久嗣
懇話会と樋口研究室の関係
 樋口研究室と唐津みなとまちづくり懇話会の関係は、平成16年6月1日に始まったと思います。その前に、樋口先生は唐津港港湾計画改訂の唐津港長期構想計画調査委員会の委員を務められ、既に先生の中には、唐津港一体の将来構想が描いてあったのかもしれません。
 平成17年2月9日第2回交流部会で樋口研究室が登場します。キーワードは「唐津と言う所は万葉の時代以来、歴史がある港で当時の風景が残っている港としては日本でも数少ない港、美しい港なんです。」提案説明は、現況と課題として、都市構造の問題点から市街地を繋げる、横のラインの連携を考えるで、ポイントが4つあることです。①まちづくり資源の活用②景観軸の掘り起こし③都市構造の再設定、歩行者動線計画④自動車動線計画。次に整備プログラム①新しい都市の顔をつくる②港とまちの繋がりを強化する③新しいコミュニティを形成する。以上がみなとまちづくりの原点にあったのではないかと思います。
 また、平成16年12月3日、樋口先生が、九電の煙突に登り感想を述べられました。「唐津は日本の果ての小京都、素敵な観光地、住んでいる人が自慢できる街としてそれだけの資質を持っている所」。これから始まったのがウォーターフロント開発計画にあった緑地計画(運河計画)の変更でした。運河計画の必要性が議論され最終的にはシンボル緑地計画に変更され、現在の芝生公園、みなと松原に変貌を遂げました。