風景と地域づくりの
出会いと発見DIARY
景観研究室は、プロジェクトや研究を通じて、九州各地の風景・地域づくりに取り組んでいます。地域の人達と未来を語り合う、デザインについて現場で喧々諤々議論する、素敵な風景や食文化を見つける、地域の人達との長いお付き合いが始まる…風景・地域づくりの中で、たくさんの出会いや発見、感動が生まれる毎日。そんな景観研究室の日常をお伝えしていきます。
January 31, 2010

上野村見学会【研究/渡邉】

1月30、31日と群馬県上野村に行ってきました。
GSデザインユースが企画した見学会への参加です。
わたしの関心のあった「過疎」をテーマにした見学会であり、
「里という思想」の著者である内山節先生に会ってお話ができる、ということで参加してきました。
今回は、研究室の研究費で行かせていただきました。
その分、わたしが見学会で得てきた知識・経験を他の学生の皆さんに報告することにしています。
正式な報告レポートはのちのち作りたいと思いますが、
まずは記憶の新しいうちに、ブログで報告したいと思います。
上野村は、群馬県の最南西部に位置し、森林が村の94%を占める、人口1,400人ほどの村です。
高齢化が顕著であり、昭和45年に過疎地域に指定されています。
過疎地域に指定されて以来、生活環境整備や生産基盤の整備、産業の振興などを行ってきており、
平成4年には国土庁より過疎地域活性化優良事例として表彰を受けています。
しかし、若者の定住による過疎からの脱却は依然として達成できていない状況となっています。

写真:ある集落
今回の見学会では、上野村グリーンツーリズムコーディネーターである黒澤さんという方が
地元でのさまざまな調整をしてくださり、
・集落の見学
・内山先生とお話
・青年団の人と飲み会
・参加者同士の議論
・地元の方の家でのもちつき
・薪割りなど山の仕事の体験
などなど、かなり内容の充実した中身の濃い見学会となっていました。

写真:内山先生を囲んでの議論

写真:もちつきの様子
早速ですが、以下、今回の見学会の中で考えたことを書き綴っています。
かなり長いのですが、せっかく学んできたことを皆さんとも共有できればと思い、書きました。
「過疎」というものについて、今の時点でわたしが本当に思っていることだけを言葉にしています。
拙い文章ですが、興味のある方は、以下、読んでいただけると嬉しいです。
・・・感想・・・
上野村見学会に行く前、「過疎」、「過疎」って自分も言っているけれど、
これって何なのだろう?などと曖昧に思考を巡らせていました。
上野村に行こうと決めたとき、自分が「過疎」というものをどう捉えるのか
-どういう認識を持ち、どういうスタンスをとるのか-
ということを上野村を歩きながら、他の参加者と議論しながら、考えようと思いました。
結果として、わたしの中での「過疎」というものに対する認識は
ある程度はっきりとしてきたような気がします。
結論は、「過疎」というものは、ただその地域の状態を表す言葉であって、
決して「過疎の村」と名づけられてしまう村なんてないということです。
ある地域について考えるとき、「過疎」はその地域の課題のひとつとして
取り上げられるものであり、それ以上でも以下でもない、と思います。
では、「過疎」というのは本当に問題なのか?
それは、やはり問題です。
理由は「集落機能が低下するから」です。
たとえば、上野村では山水をパイプで山からひいて利用しているそうですが、
冬にその水が凍ってしまったとき、誰かが山に登ってそのパイプの凍った部分を
探しあてて対処しなければならない。それをできる人間がいなければ困る、というようなことです。
他に、山の上にある神社の管理も地区のお祭りにも人手がいる。
特に若者が必要だ、ということです。
「過疎」はあくまで課題のひとつといいながらも、
これはやはり軽視できない大きな課題だと思います。
では、「過疎」に対してどう対応していけばよいのか。
以下、内山さんの見解を参考に整理してみると、
まず、(上野村に限らないかもしれませんが)上野村で過疎化が進む要因の鍵は、
「教育」と「産業」にあるそうです。
「教育」に関しては、通学可能な範囲に(いわゆる進学校など)志望の高校がなければ
高校から下宿しないといけない、下宿させることは両親の金銭的負担が大きくなって
大変だから、子どもが大きくなったときのことを考えて、村を出て街に暮らすことを
選択せざるを得なくなる、ということが要因です。
これに対しては、県や国などのレベルで取り組むべきところかもしれません
(条件不利地域に教育の補助金をつけてあげる、など)。
「産業」に関しては、とにかく「林業も農業も儲からない」「かわりになる仕事もない」
ということが要因です。これに対しては、国レベルですべきことと各市長村レベルで
すべきことがありそうです。
国レベルとしては、林業や農業を、正当な収入を得られる産業にしなければならない
ということが大きな命題です。
各市町村レベルでは、観光産業やコミュニティビジネスのような新たな産業を盛り上げて
いくことが必要になります。
大きな国家システムの改変とともに、地域の中で回していく小さな仕組みの創出、
その両輪で地域をなんとか維持していく、というのが現状として目指すべき方向のようです。
口で言うのは簡単でも、これは実際にはとても難しいことだと思います。
特に、国家システムの改変なんていうことは。
「過疎」という課題への対応についても、一般的に論じれば以上のようなことになりますが、
私としては、やっぱり、地域に関わる人間のスタンスとして、
「過疎」は課題のひとつであり、その地域における「過疎」という課題の重さの程度や
要因によって、対応策のあり方も地域それぞれの個別解になるだろう、という風に考えます。
以上が今回の見学会を終えての、今の時点での自分なりの結論です。
参加者との議論の中では、わたしとはまた違う意見が聞かれて、これもまた参考になりました。
国家全体で見るとどうか?農業の問題はどう考えていけばよいのか?
過疎地域を失うことは日本人の拠りどころを失うことにならないか?
中山間地域などは食料供給の視点で考えればなくなってもよいとは言えないのではないか?
などなど。
議論の中で特に考えさせられたことがあります。
「仕事をしていれば必ず判断を求められるときがある。
そのときには自分のスタンスを決めないといけない」
という意見です。
わたしはそのとき咄嗟に
「スタンスは立場によって変わるものだし、ひとつのスタンスを決めなきゃ
いけない人もいるけど、決めなくてもいい人もいるでしょう」
というような曖昧なことを思いました。
福岡に戻り、高尾さんに上野村見学会で考えたことを話していたら、
こんなことを言われました。
「立場によって変わるのは『表向きのスタンス』でしょ。
『自分のスタンス』はいつでも裏側に持ってればいいんだよ。」
それならば、わたしは迷わず「あるひとつの地域に暮らす人のためにどうするべきか」
ということを「自分のスタンス」として一番大切に考え続けていきたいと思います。
過疎であろうがなかろうが、地域に向き合うときの姿勢は同じ。
「過疎」という言葉にその地域の本質はあらわれません。
最後に。
「過疎」というのは単に課題のひとつだと言いながら、
やはり大きな課題であることには違いありません。
これからも、この研究室だからこそ養っていくことのできる「現場感覚」を大切にしながら、
「『過疎』をどう捉え、何をしていくのか」
ということを自分なりに考え続けてゆきたいと思います

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